皆さん、こんにちは!フードプロデューサーの平山友美です。
今回、食のプロフェッショナルとして紹介するのは、山口県美祢市「梶岡牧場」の3代目、梶岡秀吉さんです。梶岡さんは、繁殖、肥育、精肉した肉を提供するまで一貫して手掛ける、全国でも珍しい畜産スタイルを構築。その牛は「梶岡牛」と呼ばれ、日本各地の名店が、こぞって指名買いするほどの人気を博しています。
牛一頭一頭にしっかりと向き合う梶岡さんに、牧場の成り立ちから現在に至るまで、牛肉の味を決定づける飼育方法などを伺いました。インタビュー形式で、わかりやすくお伝えしたいと思います。
- 「梶岡牧場」の「梶岡牛」について知りたい
- 畜産農家、牧場への就労、就職に興味がある
- 「6次産業化」について知りたい
こんな方にぴったりの内容です。ぜひ、ご覧ください。
全国から注目を浴びる梶岡牧場とは?
1968年創業。山口県美祢市にて、牛の繁殖、肥育、飼料の製造、堆肥づくり、レストラン経営まで一気通貫経営を行っています。
自社ブランドの「梶岡牛」は、「梶岡牧場」で育った牛のみを指す黒毛和牛ブランドです。
インタビュー出演者(登場人物)
友美:平山友美(ひらやまともみ)
フードプロデューサー。(※フードプロデューサーは「自分の住む町の事業者さんと共に食にまつわる「コトづくり」をする専門職です。)主に新商品の企画開発や販促物の制作、地域ブランドづくりに携わっています。商品の魅力を言葉にしたり、魅力的に見えるような演出を考えるのが得意です。
会社のホームページはこちら。インスタグラムはこちら。
梶岡さん:梶岡秀吉(かじおかひでよし)
有限会社梶岡牧場 取締役
1973年山口県美祢市生まれ。東亜大学工学部食品工業科学科卒業。大学卒業と同時に梶岡牧場の取締役に就任。畜産クラウド牛群管理システム「Farmnote」アンバサダー、家畜人工受精師、家畜受精卵移植師、山口県農業法人協会理事、(一社)美祢市観光協会理事、山口県指導農業士。
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インタビュー(対談形式)
梶岡牧場取締役、梶岡さんとのインタビュー内容を記事にしてみました。
梶岡牧場の始まりは預託事業から
「梶岡牧場」の成り立ちを教えてください。
祖父の代から始めたリンゴ園が始まりです。
しかしリンゴは、台風がくれば1発で収入がゼロになってしまいます。年間通じて収入があるものを始めようと選んだのが畜産農家でした。1968年に畜舎を立てたのが牧場のルーツになります。
牛の預託が現在の「梶岡牧場」に繋がっているとお聞きしました。きっかけは何でしょうか?
当時は、 牧場内で飼う牛の頭数はそんなに多くなかったんです。数が少ないながらも、お肉を市場に出荷していたら、地元のお肉屋さんから、「いい肉作るね。うちの牛を飼ってくれないか?」とお話をいただきました。お肉屋さんの牛を預かって、飼う。つまり、牛の保育園(預託)をやっていました。
畜産農家では珍しいスタイルだったのですか?
自分の牛を持ち、自分の牛を出荷するのが基本の畜産農家です。預かって飼うのは、「畜産農家じゃない」という見方もされましたね。
それでも、牛の保育園経営を選んだ理由は何でしょうか?
簡単に言うと、リスクが少ないからです。畜産には、餌の相場、子牛相場、そして肉の相場があります。この3つがきちんとうまくかみ合わないと利益が出ないビジネスです。自分の牛を持つよりも、1日1頭で決まった収益を得て、確実性を維持するほうがリスクはありません。
そういった理由で、昔はリスクヘッジを考慮し、預託事業をメインとしていました。
2度の経営危機から梶岡牛の誕生まで
預託に関する幾度ものピンチを乗り越え、現在の「梶岡牧場」があるそうですね。
忘れもしません、最初は2001年のBSE(牛海綿状脳症)が発生したときです。当牧場に預託してくれていた業者も牛を引き上げ、牛舎はからっぽになりました。一気に収入がなくなり、近くの牧場へアルバイトへ行くほど切羽詰まっていました。当時、既に結婚して子どももいたので…。
その後が気になります…。
そんな中、どうにか牛を預けてくれる業者を探し契約できたのが「安愚楽牧場」で。多いときは、約15万頭を預かって育てていました。しかし、2011年に同社が倒産。また翌月から収入ゼロの状態に陥ってしまいました。
2度の危機から、現在の「梶岡牛」が誕生したと。
そうですね。自分で100%コントロールできる方法でやっていこう決意し、2014年に、14頭の母牛からスタートさせました。牛は、種付けして生まれるまで285日お腹の中にいます。当牧場では、出荷できる状態になるまで、約4年かかります。
確か、梶岡牛がデビューしたのは2018年ですよね?
そうです。1968年に牧場として創業したので、 50年という節目の年でした。何か運命的なものがあったのだと思います。肥育のノウハウは、 数十年にわたり培ってきたものがあるので、確固たる自信がありました。辛い経験もしましたが、今では勉強させてもらったと思っています。
繁殖には免許取得が必要ですよね。相当な勉強をされたと思います。
40歳を過ぎて、国家資格である「家畜人工授精師」の免許を取りました。その2年後には「家畜受精卵移植師」の免許も取得。どちらも、獣医師であれば業務を行うことができますが、工学部卒の僕はゼロからの学びでした。18~19歳の若い子に混じって講習を受け、必死で勉強しましたね(笑)
家畜人工授精師及び家畜受精卵移植師:牛、馬、豚、ヤギなどの人工授精や受精卵移植を取り扱う。
梶岡牛だけが持つ美味しさの決め手
「梶岡牛」がなぜ美味しいのか。秘訣を教えてください。
まずは、自社でつくる発酵飼料です。近隣で仕入れた、牛が食べて安心かつ安全なものをつくっています。その中身は、山口県内の酒造から仕入れる酒粕、地元産の米粉などです。飼料を設計する専門の獣医さんにお願いし、何度も試験を繰り返し、納得いくものだけを牛に与えています。飼料レシピだけで約600種類を用意。牛の内臓から健康にするためです。
まさに、腸活ですね!飼料からつくる牧場は、全国的にかなり珍しいと思います。
確かに大変ですし、効率も悪いです。通常、牛に食べさせる市販のトウモロコシや麦より、大きくなるスピードが遅れます。
確かに、早く大きくして、早く出荷したほうが、効率はいいですね…。
一般的には、トウモロコシなどをたくさん食べさせ、牛を早く大きくする方法が当たり前です。しかし、その点に着目し、健康的に育つ飼料プラス、じっくり育てる方法が「梶岡牛」の味を決めます。 和牛は大体、24ヵ月~28か月での出荷が基本です。しかし、短期間で牛が太ると、味を醸成する要素がないまま、細胞だけが大きくなります。
肥育期間の長さも大切なんですね。「梶岡牛」はだいたいどれくらいの期間で出荷されるのでしょうか?
32ヵ月以上です。約3年半ですね。畜産農家は皆、そこまで育てたいと思っているのではないでしょうか。でも、餌代も含め、コストがかかりすぎるんです。また、和牛は10キロの餌を食べて、約1kg太ります。しかし30カ月超えたら、体重が増えなくなります。餌を食べても、大きくならないんです。
そこまでして、「梶岡牛」を長く育てるのはなぜですか?
全て、味に影響するんですよ。僕は「おいしさの歳月」だと思っています。果樹で言えば、木で育てたまま熟させるイメージですね。
格付けではなく、おいしさ重視
「梶岡牛」は、A5やA4といった等級を付けていませんよね。なぜでしょうか?
和牛の格付けは、枝肉を見てお肉屋さんが評価する、所謂ものさしです。競りでは、見た目と重さが評価されます。さしが綺麗に入っている、脂の色とか、肉の締まりなどです。味は、全く関係ありません。
多くの消費者はA5の肉が一番!と思っていると思いますが、実際は違うんですね…。ちなみに、肉の見た目をコントロールすることは可能なのでしょうか?
いい質問です。「安愚楽牧場」の預託をしていたとき、その格付けによって、1日1頭の預託料が査定されていたので、僕はA5ランクを目指して、日々一生懸命でした。その経験があるので分かるのですが、具体的に言うと、A5のお肉をつくるためには、牛の体内のビタミンAをギリギリの状態まで落とすんです。
ビタミンAは人間の体にも重要な要素です。
おっしゃるとおり、人間も、ビタミンが切れたら体がだるくなり、疲れますよね。牛も同じです。ビタミンが切れかかっている牛は、 目が見えなくなったり、網膜剥離を起こしたり、足が腫れるという症状をみせます。出荷時になって、歩くのがやっとな状態の牛もいます。
そのお肉を「おいしい」と言って食べていたとは…。
牛にとっては、相当なストレスがかかっています。そんな状態で出荷されたお肉を、人が食べるとどうなるでしょうか。まず、胸焼けをしますね。口につっかえて、たくさんは食べられません。なぜかというと、牛が抱えてきたストレスを体内から排除しようとする働きが起こるからです。それは、牛に限らず食品全体に共通します。体にスッと入ってくる食品は、やはり、育つ過程での理由があると思うんですよ。
なるほど。では、梶岡さんが考える「おいしいお肉」の基準とは?
まず、喉越しのいいお肉です。 例えるなら、オリーブオイルみたいな飲める油のイメージです。普通、サラダ油は、そのまま飲めないでしょう。そして、僕が食べて美味しいと感じること。「梶岡牛」は、自分が「また明日食べたいな」と思うようなお肉に仕上げています。
お肉だけじゃない、自社製品の堆肥も人気!
お肉だけでなく、堆肥(ヒューマス)も全国からひっぱりだこだそうですね。
1968年の創業当時からつくって、製品化。袋詰めして販売していました。早い段階から始めたので、日本では珍しかったと思います。当初は、「 梶岡牧場は、とうとう牛の糞を袋に詰めて売り出した」って言われていましたね(笑)
堆肥には、梶岡さんの工夫が加えられているんですか?
牛舎で使っているおがくずの敷料を発酵させています。祖父と父が作ったものをベースに、僕が大学で学んだ発酵学の知識を、新たにインストールしたんです。作物が、よりおいしくなり、栄養価が高くなるものを目指しました。牛が健康だからこそ、この堆肥ができます。皆さんに喜んでもらえて、なによりです。
次世代へ続く「梶岡牧場」の未来
今日のお話で、愛情をかけて牛を育てておられることがわかりました。
そうですね。「梶岡牛」は一頭使い切りです。余すことなく出荷、そして精肉にしています。自分が種付けすると、牛はもう我が子です。そこはもう、しょうがないですよね。だからこそ、「礼をもって命と向き合う」という理念を掲げています。喜ばれる命の繋ぎ方をしていくことが、僕の根底にあるんです。
ありがたくお肉をいただく気持ちを大切にしたいですね。それでは、最後に今後の展望を教えてください。
大学生の娘と姪っ子が「梶岡牧場」を継ぐと言ってくれています。「後を継げ」なんて言ったことは一度もありません。本当にありがたいです。だけど、プレッシャーもあります。もう僕の代で終われなくなってきました。責任を持って、次の世代へ託さなければなりません。
それは、とても楽しみですね!「梶岡牧場」の未来は無限大ですね。
そのために僕ができるのは、まず、おいしさをずっと追求することが一番です。そして、海外にも「梶岡牛」を出していきたいと考えています。海外で、「梶岡牛」を食べた人が、ここ山口の「梶岡牧場」に来てくれて、生産地やストーリー、つまり背景を見ながら、お肉を味わう旅をしてくれると嬉しいです。飛行機や新幹線、車に乗って、遠くても食べに行きたいお肉を作るのが目標ですね。
何度も困難を乗り越えられた梶岡さんです。その目標は、近い将来必ず達成されると思います。今日は、楽しく興味深いお話をありがとうございました!
最後に
梶岡さんの情熱たっぷりのお話から、命をいただくことの大切さを改めて痛感したインタビューでした。
「梶岡牧場」には、「梶岡牛」を食べられる直営レストラン「FIRE HILL」が併設されています。お話を伺った後に、希少な「梶岡牛」をいただきました。脂身が抑えられながらも柔らかく、しっかりと濃い味に感激です。ぜひ皆さんも、至高の黒毛和牛「梶岡牛」を食べに、山口県へ車を走らせてみてくださいね。緑の中に佇むログハウスでいただくお肉は、自然の雰囲気も相まって、誰もを笑顔にしてくれます。最高の美味体験をどうぞ!
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