皆さん、こんにちは!
フードプロデューサーの平山友美です。
今回、食のプロフェッショナルとして紹介するのは、広島県北部・庄原市の料理人、三河功治さんです。
三河さんは、辻調理師専門学校を卒業後に、東京の割烹店や、日本で一番予約がとれないといわれるオーベルジュ「徳山鮓(とくやますし)、都心のレストランなどで腕を磨いた後、2019年にUターンで地元・庄原市へ帰郷。2023年に、同市の口和町で、完全予約制の料理店「一柿」をオープンされました。
今回は、三河さんの経歴、そして自分のお店を持つにあたり、なぜ庄原市を選んだのか。また、庄原市の魅力や、同市で多岐にわたり活動する思いなどを聞かせてもらいました。
動画、テキストとともにお届けします。
- 三河功治さんについて知りたい
- 料理人という職業について知りたい
- 庄原の食材やジビエに興味がある
という方にピッタリな内容です。
ぜひご覧ください。
三河功治さんインタビュー動画
三河さんのインタビュー動画です。これまでの経歴、庄原市での取り組みや故郷への思いなどを伺っています。
インタビュー出演者(登場人物)
友美:平山友美(ひらやまともみ)
フードプロデューサー。(※フードプロデューサーは「自分の住む町の事業者さんと共に食にまつわる「コトづくり」をする専門職です。)主に新商品の企画開発や販促物の制作、地域ブランドづくりに携わっています。商品の魅力を言葉にしたり、魅力的に見えるような演出を考えるのが得意です。
会社のホームページはこちら。インスタグラムはこちら。
三河さん:三河功治(みかわこうじ)
広島県庄原市出身。高校卒業後に大阪の辻調理師専門学校へ進学。東京の日本料理店「衛藤」、日本最高峰とされるオーベルジュ「徳山鮓」、東京の「Salmon & Trout」など、数々の名店で修業を重ね、2019年にUターン。庄原市のジビエ処理施設勤務、古民家宿泊施設「長者屋」の出張料理人、そして2023年に開店した料理店「一柿」オーナーを務めるなど、庄原市をフィールドに、さまざまな食の事業で活躍する。
「一柿」のホームページはこちら。
インタビュー(対談形式)
三河さんとのインタビュー内容を記事にしてみました。
料理の道へ進んだのは料理漫画と祖父への思いから
三河さんが、料理人を目指したきっかけを教えてください。
まず、漫画「美味しんぼ」に影響を受けました。父の本棚に並んでいた同書を、幼少期によく読んでいたんです。そして祖父が、どうやら料理人になりたかったそうで…。祖父が生きたのは、子どもに自己決定権はあまりなく親が決めた道をいく時代。そんな祖父の思いを、父からよく聞かされていました
漫画とお爺様の存在が、三河さんの原点になっているのですね。
そうですね。漫画のおもしろさに加え、「孫が料理の道に進めば、祖父も喜ぶんじゃないか」と、うっすらと思い浮かべていたのは確かです。
地元の高校を卒業して、辻調理師専門学校へ進学されました。その後12年間、滋賀県の「徳山鮓」をはじめ、さまざまな場所で料理の腕を磨かれたそうですね。庄原への帰郷は、初めから決めていたのでしょうか?
漠然とですが、考えていました。25歳で「徳山鮓」に入り、5年間はここで勉強させもらい、30歳になったら庄原市に帰ろうと。もちろん人生は計画どおりに進みませんから、「徳山鮨」に勤めた後、再度東京でご縁をいただき、1年半「Salmon & Trout」でシェフを務めました。地元へ戻ったのは2019年です。
現在、ご自身のお店「一柿」の他、庄原市の多数の事業でご活躍中です。
私の軸は、4つです。「一柿」の運営、「せとうち古民家ステイズHiroshima」での出張料理、備北丘陵公園グランピング事業の料理監修、そしてジビエの加工施設に関わっています。
2023年の初夏に開店した「一柿」の名は、母の旧姓、つまり祖父の姓からとっています。もう病気で亡くなってしまいましたが、やはり祖父の存在は大きかったですね。
理屈では語れない故郷・庄原の魅力
都心で長く働いていると、故郷へ戻るという選択肢は誰もが皆浮かばないのでは?と思います。三河さんは、地元への思いがとても強いですね。
20代前半は、庄原に帰るのは年に一度正月等に帰省を楽しむくらいでしたが、徳山鮓に入ってから以降は時間ができれば、できるだけ食材探求しに庄原に帰ってました。
例えば、庄原では総領町のこんにゃくが有名です。私にとっては当たり前にある食材でしたが、詳しいことは知りませんでした。将来に向け、「庄原にはいったい何があるのだろう」と、改めて地元食材の魅力を深掘りしていました。
それだけ庄原に魅いられていたと。
私の場合、特に根拠なく、「庄原がいい」という気持ちが潜在的にあったのではないかと思います。周りからは不思議がられるんですけど、庄原への帰郷は、理屈やロジックじゃ語れないものがあるんです。東京と庄原を比べ、唯一不便な点を述べるなら、歩いて飲みに行けなくなったことですかね(笑)。
狩猟から流通まで奥深いジビエの世界を知る
三河さんは、料理人としての顔を持ちつつ、自らも鳥獣捕獲に関わり、流通などの世界を理解し、ジビエ料理を提供しておられますね。
ジビエは徳山鮓で習い、いろいろ覚えることができました、でも、地元庄原のジビエを取り巻く環境は全く知らなかったんです。庄原に帰ってきてから新しい世界と繋がりました。幸運なことに、Uターンする前年の2018年にジビエの加工施設が庄原にでき、その翌年に古民家の宿「長者屋」が完成したんです。この2つの偶然がないと、今の私はないと思います。ご縁ですね。
改めて、三河さんが考えるジビエの魅力を教えてください。
いくつかありますが、一番は簡単には手に入らない食材という点です。庄原市の施設運営に初期から携わっているからこそわかるのですが、ジビエの加工施設ができたからといって、すぐに稼働できるものではありません。施設の体勢づくりから始めないといけないのです。鮮度や質を保つための狩猟の仕方、運び方などテクニカルな部分も大切です。
つまり、ただ狩猟して料理をするだけでなく、施設維持から携わってこられた経験も大きいと。
はい。これまでは、おいしく調理する方法の一直線を進んでいましたが、庄原に帰って視点が増えました。捕獲から出荷されるまでの工程や衛生管理方法まで掘りさげることができました。
全てを知っているからこそ、ジビエの魅力を最大限に引き出されているんですね。ところで「一柿」では、庄原市のブランド黒毛和牛・比婆牛は提供されていないのですか?
今は、基本的にジビエのみお出しすることが多いです。その理由のひとつに、比婆牛が育つ土台となる土地を守り たいという思いがあります。実は、庄原市で育てている比婆牛の飼料用イネ用の田んぼを、 イノシシが荒らして問題になっているんです。
鳥獣対策、つまり家畜の生産を守ることに自体に関わり、それを料理で表現することが自 分の務めだと思っています。
産地や生産者訪問の根底にある料理は素材あってこその考え
お料理をする際に、大切にしていらっしゃることを教えてください。
料理は、まず素材あってのものです。「徳山鮓」で働いていた頃、自分で鮒やウナギをとっていました。まな板上での作業は一部でしかなく、食材の根本が大切であるという意識が、今も常にあります。
生産者さんのもとへ、ご自身で向かわれるとも伺っています。
そうですね、産地訪問も心がけています。庄原にきて幸運だったのは、自然と色々な繋がりが増えたことです。ジビエ事業に携わると、必然的に農家さんを周る機会が増えます。それに、父が農協職員という環境も、とても助かりました。
庄原には、田舎ならではの人との強い繋がりや、のんびりとした風土がありますよね。
都心にいるときは、 必ず生産者さんにアポを取って出向いていましたが、庄原にはフラッ立ち寄っても受け入れてくれる寛大な雰囲気があります。先日、犬の散歩をしていたら、 とある畑で、イタリアで高級食材とされるズッキーニの花を見つけたんです。私が興味を示すと、農家さんから出てきた言葉は「これいる?ええよ。もっていきんさい」でした。改めて、地元の良さに気が付いた瞬間でした。
他者への感謝を忘れず、おかげさまの精神で
それでは最後に、食の仕事に携わろうとしている人、郷里で料理の可能性を開きたい人に向け、アドバイスをお願いします。
アドバイスのようなおこがましいことは言えませんが…。田舎から都会へ出ている方に向けて言えば、できるだけ都会でさまざまな経験をし、そこで吸収したものを地方に持ち帰り、ノウハウを落とし込んでみてほしいと思います。地方が盛り上がるひとつの要因になるかもしれません。ただ、そっくり私の真似をしても意味がありません。今の私は、ご縁の重なりでできています。「おかげさま」の精神を大切に、日々多くの人々に支えられていることに感謝して生きていれば、自ずと道が開けてくると思いますよ。
最後に
三河さんの料理に対する姿勢は、比類なきものだと思います。自分を律する精神の強さにはただただ驚くばかりです。
自身の料理を高めることだけでなく、生産者や生産地まで目配せをする視座の高さと視野の広さも余人には及ばないところでしょう。庄原市の食が大きく花開く未来が、楽しみでなりません!
弊社では新商品の企画開発や販促物の制作、ブランド作りに携わっています。お気軽にお問い合わせください。