5月に入ってから連投している(笑)Voicy、聴いていただけましたか⁉ いや・・・そんな聴く価値があるかと言われると、私も自信をもっておすすめできるほどのトークではありません。が・・・このVoicyの本当の目的は、話して伝えることを鍛えるため、です。まだ訓練が始まったばかりなので、成果が感じられるには至っていませんが、お付き合いいただけるとうれしいです!!
さて、そんなVoicyのトークをときどき、ここでも記録に残しておきたいと思います。音声で聴きたい方はぜひVoicyで!
朝食の定番として、すっかり食卓に定着したグラノーラ。袋を開けて器にザザーッと注ぎ、牛乳やヨーグルトをかけるだけ。忙しい朝にぴったりの手軽さですよね。
「グラノーラって体にいいの?」と聞かれることがあります。オーツ麦をベースに、ナッツやドライフルーツが入っていて、食物繊維やビタミン、ミネラルが手軽に摂れる。一方で、市販のグラノーラには砂糖や油脂がしっかり加えられているものも多く、「ヘルシーなイメージほどヘルシーではない」という声もあります。食べ方や選び方次第、というのが正直なところでしょう。
ただ、今回はグラノーラの栄養学的な話ではなく、もっと意外な角度からのお話です。毎朝なんとなく食べているグラノーラの「名前の由来」や「歴史」を知っている方は、少ないのではないでしょうか。調べてみると、そこにはケロッグ兄弟の物語や、訴訟から生まれた名前、ヒッピー文化との関係など、驚くほどドラマチックなストーリーが隠れていました。
グラノーラの名前は「訴訟」から生まれた
実は、グラノーラは最初「グラノーラ」ではありませんでした。
1863年、アメリカのジェームス・ケイレブ・ジャクソンという人物が、穀物を使った健康食品を考案します。ジャクソンはサナトリウム(療養施設)を経営しており、患者に健康的な朝食を提供したいという思いから、グラハム粉を練って焼いて砕いたシンプルな穀物食を作りました。
この食べ物の名前は**「グラニューラ(Granula)」**。「粒」を意味する「Granule」と「穀物」を意味する「Grain」から作られた造語です。
ただし、このグラニューラ、食べるには一晩牛乳に浸しておく必要があるほどカチカチだったそうです。今のザクザクしたグラノーラとは、ずいぶん違います。
ケロッグは「兄弟」だった
ここで登場するのが、あの「ケロッグ」です。
コーンフレークの会社として知られるケロッグですが、そもそもケロッグが「兄弟」だったことをご存じでしょうか。
兄のジョン・ハーヴェイ・ケロッグは医師で、ミシガン州バトルクリークでサナトリウムを経営していました。菜食主義を徹底し、患者の食事療法に強いこだわりを持つ人物です。弟のウィル・キース・ケロッグは、兄のもとで事務や経営を手伝っていました。兄が研究や治療に没頭する一方で、弟は「これをどうビジネスにするか」を考えるタイプ。この対照的な兄弟の性格が、後に大きな分岐点を生むことになります。
訴えられて一文字変えた
ジャクソンの「グラニューラ」に目をつけたのが、兄のジョン・ハーヴェイ・ケロッグでした。
ジョンもまた、サナトリウムで患者に健康的な食事を提供していた医師です。彼はジャクソンのグラニューラを参考に、燕麦(えんばく)などをローラーで押しつぶして、より食べやすいフレーク状にするという改良を加えました。
ところが、商品名をそのまま「グラニューラ」としていたため、当然ジャクソンに訴えられます。
そこでケロッグは名前を一文字変えました。
「グラニューラ(Granula)」から「グラノーラ(Granola)」へ。
つまり、私たちが毎朝口にしている「グラノーラ」という名前は、訴訟を避けるために生まれたものだったのです。
コーンフレークも「偶然の産物」だった
ケロッグ兄弟のエピソードは、まだ終わりません。
ある日、兄のジョンが改良中の穀物生地をうっかり放置してしまいます。乾燥してしまったその生地を、もったいないからとローラーで伸ばしてみたところ、薄いフレーク状になりました。焼いてサナトリウムの患者に出してみると、これが大好評。
これがコーンフレークの誕生です。
弟のウィルは「砂糖を加えて甘くすれば、一般の消費者にも売れる」と考えました。しかし、健康志向が強い兄ジョンは砂糖を加えることに猛反対。「患者の健康のために作ったものを、甘いお菓子にするなど許さない」というのが兄の主張でした。
研究者肌の兄と、ビジネスマンの弟。二人の溝は深まる一方で、最終的にウィルが独立し、1906年にケロッグ社を創業します。その後、兄弟は「ケロッグ」の名前の使用権をめぐって法廷で争うことにもなりました。
グラノーラとコーンフレークは、いわば兄弟のような存在。どちらもサナトリウムの「患者のための健康的な朝食」から生まれたのです。そして皮肉なことに、世界的企業として成功したのは、健康第一を貫いた兄ではなく、「甘くして売ろう」と考えた弟のほうでした。
ヒッピーが復活させたグラノーラ
しかし、その後グラノーラは一度下火になります。コーンフレークのほうが食べやすかったため、市場を奪われてしまったのです。
グラノーラが再び脚光を浴びるのは、1960年代のアメリカ。ヒッピームーブメントの中で自然食・健康食品ブームが起き、グラノーラの人気が再燃しました。ドライフルーツやナッツを加えて食べやすくし、甘味料で味を整えた、現在の形のグラノーラが生まれたのはこの頃です。
ちなみに、アメリカの俗語では「グラノーラ」が「健康志向な人」「ヒッピー的な人」を指す言葉としても使われています。カリフォルニア州が「グラノーラ・ステート」と呼ばれることもあるそうです。
日本のグラノーラ事情 ── カルビー「フルグラ」の20年
日本でグラノーラといえば、多くの方がカルビーの「フルグラ」を思い浮かべるでしょう。
カルビーがシリアル事業に参入したのは1988年。アメリカで定着していたシリアルに着目し、日本人の味覚に合うグラノーラの開発が始まりました。
注目すべきは、カルビーが重視したのが**「食感」**だったこと。アメリカのグラノーラはやや素朴な食感でしたが、カルビーにはかっぱえびせんやポテトチップスで培った「サクサク・ザクザクの食感技術」がありました。この技術を応用して、日本人好みのザクザク食感のグラノーラを作り上げたのです。
1991年、ドライフルーツを加えた「フルーツグラノーラ」が発売されます。
ところが、ここからブレイクするまでに約20年もかかりました。長い間、売上は年間30億円ほどで横ばい。社内でも地味な存在だったそうです。
転機は2012年頃。シリアルとしてではなく、**「忙しい朝に10分で食べられる朝食」**として打ち出したことが大きかった。パンの朝食は準備に30分かかるが、フルグラなら10分で済む。時短、健康、ザクザク食感。この3つが支持され、売上は2012年に65億円、2014年に143億円、2016年には約300億円と、一気に10倍近くまで伸びました。
2021年には「最大のミューズリー・グラノーラブランド」としてギネス世界記録にも認定されています。
160年の歴史が詰まった一杯
19世紀のアメリカで、療養施設の患者のために作られたカチカチの穀物食。訴訟を経て「グラノーラ」と名前を変え、コーンフレークという兄弟も生まれ、ヒッピーたちに愛されて復活し、太平洋を渡って日本に来て、カルビーの「ザクザク食感」と出会い、ギネス世界記録へ。
朝、何気なく器に注いでいるグラノーラには、160年分の歴史と、たくさんの人の工夫が詰まっています。
「グラノーラって体にいいの?」という問いへの答えは、食べ方次第。でも少なくとも、その歴史を知ると、明日の朝食がちょっとだけ楽しくなるのは間違いありません。


