創業以来のスペシャリテがある店を、私は尊敬する
久しぶりに、オリエンタルホテル広島のフレンチレストラン「OZAWA」へ行ってきました。
東京・白金台の名店の伝統を受け継ぎ、2006年に広島にオープンしたOZAWA。バターやクリームをほとんど使わず、素材本来の旨味を引き出す「東京フレンチ」を提供し続けています。ミシュランガイド広島版では1つ星にも掲載された、広島を代表するフレンチレストランです。
創業以来のスペシャリテがある店というのを、私はとても尊敬しています。時代が変わっても、流行に左右されず、「これがうちの味です」と胸を張って出し続けられる一皿がある。それは、その料理に対する揺るぎない自信と、長年かけて磨き上げてきた技術の証だと思うからです。
シンプルな見た目の奥にある、途方もない手間と時間
OZAWAのスペシャリテといえば「オマール海老の茶碗蒸し」です。

見た目はとてもシンプル。華やかなデコレーションがあるわけでもなく、色とりどりの食材が散りばめられているわけでもありません。でも、このシンプルさの奥には、ものすごい手間と時間がかかっているのだろうなということは、食べれば分かります。
この茶碗蒸しの要となるのが「ソースアメリケーヌ」です。オマール海老を丸ごと使い、殻から旨味をじっくり煮出して作るフランス料理の古典的なソース。私が初めてこのソースの作り方を習ったとき、あまりの工程の多さに驚いたことを今でも覚えています。
フランス料理では「シノワ」という円錐形の濾し器を使うのですが、ソースアメリケーヌの場合は普段とは違う目の粗いごついシノワが登場します。そこに「ピロン」と呼ばれる木の棒のような道具を使って、殻をギュッ、ギュッと押しながら濾していく。殻に残った最後の一滴の旨味まで搾り出すような作業です。この工程を知っているからこそ、シンプルに見えるこの茶碗蒸しに凝縮された技術の深さが分かるのです。
「おいしい料理」と「映える料理」の逆転現象
最近、ふと気づいたことがあります。
Instagramを開くと、家庭料理を作る方々が彩り鮮やかで見栄えのする料理をアップしています。赤、黄、緑のバランスが美しく、まるで料理雑誌のような写真が当たり前のように並んでいる。それ自体は素晴らしいことです。
でも一方で、いろいろなお店に食べに行って「おいしい!」と心から思う料理は、たいてい見た目がシンプルで地味なんです。
この前いただいた「SAI」さんの料理もまさにそう。本当に手間をかけた料理ほど、余計な装飾がなく、素材の力と出汁の深みだけで勝負している。だから見た目はとてもシンプルでした。


それを「おいしかった!」と思ってInstagramに投稿しても、そのおいしさはスマホの画面からはなかなか伝わりません。料理人さんのとても手間をかけた料理の写真には、いいねがほとんどつかない。いわゆる「反応が良くない」のです。
「見た目」の観点では、家庭料理とプロの料理が逆転してしまったように感じます。
30年前、料理の先生の料理はだいたい「茶色」だった
古いと言われるかもしれませんが、私は昭和を生きてきた女です。💪
30年前のことを思い出すと、テレビに出ている料理の先生が作る料理は、だいたい「茶色」でした(笑)。パパっと炒めて、ハイできた~!みたいな、ね。
だからこそ、少しでもおいしそうに見せるために「フードコーディネーター」という職業がありました。料理家が味を作り、フードコーディネーターが見た目を整える。当時は、料理家とフードコーディネーターの間に明確な役割分担があったのです。
それが今では、普通の主婦とプロの料理家の区別がつかなくなってしまいました。料理家さん自身が盛り付けも撮影もこなせてしまう時代。SNSでは誰もが美しい料理写真を発信でき、フードコーディネーターの仕事はずいぶん減ってしまいました。🤔
ビジュアルに惑わされず、料理の本質を見抜く力を
もちろん、見た目が美しい料理が悪いわけではありません。食は五感で味わうもの。視覚も大切な要素です。
けれど、見た目の華やかさだけで料理を判断する風潮が強まりすぎると、本当に手間と時間をかけて作られた料理の価値が見えにくくなってしまいます。あの地道な作業の先にある一皿の深み。それは、いいねの数では測れないものです。
この昭和の女にできることがあるとすれば!ビジュアルばかりにとらわれず、その人の作る料理の本質がどこにあるのかを見抜く力を失わないこと。見た目がシンプルでも、一口食べれば分かる。そこに込められた技術と哲学を、ちゃんと言葉にして伝えていきたいと思っています。


